◆ 大学の講義って何だろう ◆

県立新潟女子短期大学/生活科学科生活科学専攻/本間善夫研究室
※本ページは2002/09/26から作成を開始したもので,今後情報を追加します。


★ノートをとるってどういうこと? ─“書く力”とは─

= 2002/09/20の学生アンケートから(県立新潟女子短期大学・生活科学科3専攻1・2年生)=
2002/09/13に行った「生活環境学/概論」の講義におけるノート筆記状況
(本間担当の最初の講義で,ノートの取り方について説明してしない段階での結果です)

 書き取り頁数  人数 / 人
 生活   食物   福祉   計(割合/%)
0 16 7 2 25(36.8)
0〜0.5 12 10 2 24(35.3)
0.5〜1 6 1 3 10(14.7)
1〜2 4 4 0 8(11.8)
2〜3 0 0 1 1( 1.5)
※参考:Googleによる“学生 書く力”の検索結果

コメント
 しばらく前から学生の“書く力”が落ちているのではないかと感じていたところ[*1],以下に引用した佐藤学さんの『女子生徒は誰一人としてノートを筆記しなかったし、…』という文章に行き当たって,どうすればいいのか一層悩みが深まっていた。
 今回,複数の教員が担当している講義で入学後ほぼ5ヶ月が経過した学生(2年生も若干名受講)に対して初めて講義をした翌時間,上のようなアンケートをとってその実態を改めて知ることができた。板書がなくても,話の中から必要なことを書き取る力がついている学生もいるけれど,90分の講義の中で単語一つ書き取らなかった学生が1/3以上いるというのはどういうことなのだろう。想定外のアンケートに答えてくれた学生諸君に感謝すると同時に,この結果を見て今後の短大でのいろいろな講義でノートをどうやって取ればいいのかを考えるきっかけにしてもらいたいと考えている。
 インターネット時代を迎えている中で,“学ぶ”ということの意味やスタイルが変わってきつつあるように常日頃感じている。ただ,やはり“書く”という行為はいつの時代でも大事なことだと思う。環境問題はじめいろいろな問題が噴出し,自己責任が必要とされる時代においては,学生でなくても重要な生活習慣かもしれない。
 筆者自身,学生時代のノートは今でも大事な財産である。例えば,単位が足りていたので試験は受けずに(試驗勉強はしたくなかった ^^; )講義だけを聞かせてもらった教養科目の「美術」は,集中講義で暗幕を閉めてスライドを使った作品の紹介(ギリシャ美術,ルネッサンス美術[*2]など)で,暗い中での説明を必死でノートをとった覚えがある。その後,美術的興味から新約聖書やギリシャ神話(プルサーマルの“プル”もここからきている!;言葉の連想ゲーム参照)を読むきっかけになったり(これは“読む力”の話になるだろう),何人かの画家の画集を手に入れたりしたのは懐かしい思い出である。大学の講義(それ以外にもいろいろなネタが周囲には埋もれている!)は自分の意志で何かを学び始める出発点に過ぎないと考えている。
 毎年の講義や演習のやり方も様々に試行錯誤しているが,独りよがりの面も少なくないだろう。これからも学生との相互作用(本ページ作成もその一環なのだけれど)の中で,お互いの中に何かが生まれてくればいいと願っている。
【蛇足】
*1 2002年の夏休みに開いた,教職(家庭科)に就いている卒業生と教職課程を履修している在学生の集まりで,卒業生から後輩への話の中に,受け入れている教育実習生も指導案など“書く力”が不足している例が出てきているという現状報告があった。
*2 例えば下記関連資料の『何人ものレオナルド』(佐倉統さん)のレオナルドやミケランジェロの話は圧巻だった。ミケランジェロといえば,美学をやっている友人から,「天地創造」の意匠・モチーフが随分アレンジされて使われてきているという話を聞いたことがあるけれど,Googleのイメージ検索結果からも少し見つけることができる。AERA Mook「生命科学がわかる。」の表紙もその一例になるだろう。


《 今後も資料を追加します 》


■ 関連資料


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