◆ 計算化学における主要な計算方法の概要 ◆

 ※本間善夫・川端潤,「動く分子事典」,p.303,講談社(1999)を改稿 …2007年版ではp.301〜


 分子の形を実験的に知る方法の代表例はX線回折測定であり,これは原子間距離に近い波長(0.1nmのオーダー;1nm=10-9m)を持つX線を試料に当てて,主に原子内電子によって散乱されて生じる回折パターンからもとの分子の姿を求めるという手法である。最近はその他に中性子散乱など他の様々な分析手法も用いられている。
 そのようにして多くの分子の構造が解明されてきたことと,理論化学の進歩が重なり合って,その原子構成と構造との関係の説明が可能になってきた結果,近年では計算機の力を借りて分子式からその構造と性質を推定することが可能になってきたのである。
 実用的にも創薬・毒性予測などの目的で盛んに用いられ,近年は生化学や材料設計・材料科学の分野でも大きな役割を果たしている。
 通常用いられる分子科学計算の手法には以下のようなものがあり,目的によって使い分けられている。

(1) 分子力学法
 分子を構成する原子は核子(陽子と中性子)と電子からなり,陽子1個の電荷と電子1個の電荷は符号が逆で絶対値は等しいが,質量は陽子(中性子もほぼ同じ重さ)の方が電子1個の約1840倍になっている。つまり,質量の大部分は原子核によっていると考えてよい。そこで分子を原子核という質点の集合体とみなし,それらがバネで結びつけられていると想定して古典力学を用い,以下の式で各点の間のポテンシャルエネルギーを計算するのが分子力学法である。

  =Σ結合伸縮+Σ変角+Σねじれ+Σvan der Waals相互作用+Σ静電相互作用+Σ水素結合
   (静電相互作用水素結合に電荷移動相互作用を含める場合もある)


伸縮振動の例

変角振動の例

ねじれ振動
4原子分子における分子内振動の種類

 このが最小になるような配置を計算することで,分子の安定構造を求めるのである。用いている計算パラメーターは経験的なもので物理的意味はないが,大きな分子でも計算が迅速にできる利点がある。通常孤立分子で計算するので,気体状態を想定していると考える必要がある。
 アリンジャー(Allinger)らによるMM2計算が代表例である。

(2) 分子軌道法
 量子力学を用いる方法で,目的分子についてシュレディンガーの波動方程式を解くことによって構造や物性などを明らかにするものである。計算過程で経験的なパラメータを導入したり計算を簡略化して解く半経験的分子軌道法と,最初から近似無しに解く非経験的分子軌道法(ab initio法)の2つに大別される。
 半経験的分子軌道法で用いる概算方法の主な流れは,CNDO,INDO,MINDO/1〜3,MNDO,AM1,PM3法と連なっており,それぞれ計算可能な原子の範囲が若干異なる。MM2で計算してからPM3を実行して計算時間の短縮を図るという方法がよく用いられる。
 ab initio法にはGaussianやHONDOなどがあり,最も精密な計算方法であるため計算時間がかかり,今のところあまり大きな分子には適用できない。
 分子軌道計算により,構造最適化だけでなく,分子軌道エネルギーと軌道係数,静電ポテンシャル,双極子モーメント,励起エネルギー,振動解析など有用な物性を求められるばかりでなく,反応性や溶媒効果などに関する情報も得られ,極めて利用範囲が広範である。

(3) その他の方法
 分子力学法が発展した分子動力学法,分子軌道法が発展した第1原理動力学法,ウォルター・コーンによる密度汎関数法(1998年ノーベル化学賞のトピック参照),分子集合体のシミュレーション計算に適したモンテカルロシミュレーション法などがある。


【参考1】分子力学法と分子軌道法の比較(演習で用いるChem3D・ver.4.0のマニュアルp.123の表を改変)

分 類 分子力学法 分子軌道法
半経験的分子軌道法 ab initio
計算方法 ・典型的な古典力学を使用し,分子の幾何構造データから分子のポテンシャルエネルギーを求める
・組み込まれた経験的パラメータをもつ力場を頼り計算する
・積分をまともに計算せずに,実験値や経験的パラメータで置き換え,計算を簡略化
・波動方程式のハミルトニアンに経験的なパラメータを代入して解く
・広範囲に概算を使用
・プランク定数,電子の質量,電気素量などの物理定数以外の実験値を使わずにシュレディンガー方程式を解く量子物理学を使用
・数学的に厳密
利点 ・計算量が最も少なく,分子構造を極めて早く,容易に計算することができる
・大きな分子にも適用
・計算速度がかなり速く,ab initioよりも計算が容易
・構造が複雑でサイズの大きいものにも適用
・遷移状態と励起状態で計算可能
・広範囲のシステムに有効
・実験データに頼らない
・遷移状態と励起状態で計算可能
欠点 ・限られた階層の分子だけに特定の力場が適用される
・電子特性を計算しない
・経験的パラメータが必要
ab initio法よりも厳密でない
・経験的パラメータが必要
・計算速度が極めて遅い
・約100原子からなる分子の計算が限界


【参考2】分子動力学法について
 本演習ページでは詳しく触れていないが,近年分子動力学法計算が盛んに行われるようになってきている。その入門用プログラムの体験版を以下のサイトで入手して試用できる。下のアニメ画像は同ソフト添付サンプルデータのメタノール(ピンクが酸素原子,白が水素原子,薄黄色がメチル基)による実行画面から作成したものである。

  → 原子・分子集合体のシミュレータMaterials Explorerアナウンスページ(富士通,旧WinMASPHYC) ※文献3に使用方法の概説


    参考文献・Webページ
  1. 日本化学会 編,「高精度分子設計と新素材開発」,学会出版センター(2000)
      ※第2章で種々の計算科学的手法を比較・解説,またp.24にいろいろな分子軌道法の特徴と使い方の表掲載
  2. 大澤映二 編,大澤映二・平野恒夫・本多一彦 著,「計算化学入門」,講談社サイエンティフィク(1994)
  3. 櫻井実・猪飼篤 編,「計算機化学入門」,丸善(1999)
      ※分子軌道計算,分子力学計算,モンテカルロ計算,分子動力学計算の解説と演習
  4. “計算機化学分野でのシュミレータマップ”(佐賀大学・吉塚研究室,「遷移金属の抽出と計算機化学」


計算化学演習メニュー | 生活環境化学の部屋」ホームページ